犬の歴史を見てみると面白い。犬の特性はその育った地域とそこの国民性また宗教にも大きく影響しているとおもいます。家畜として、仕事をサポートする為に育てられた犬はその目的によって同じ犬とは思えない特性をもっています。もともとダックスフントはアナグマ等を狩る為に作られたし、ブルドックは闘犬として、レトリバーは運搬犬、小さいテリアは納屋のねずみ取りがその仕事だったそうです。
しかし、その犬の特性は別として、犬種によってその性格を決めてしまうのは間違いではないでしょうか。たとえばタービュレンは初心者向きではないけど、ラブラドールはそうである。とかいうかんじですね。
ラブラドールにも素直で大人しいくとても飼いやすい子もいれば、巣晴らしく頑固で気が強く扱いにくい子がいたりします。
私の知人のラブは物凄く賢く、獰猛であったため、訓練所に預けて躾けていただきました。しかし、この子は訓練所から帰ってきても結局力があると自分が認めた人間のいう事しか気がず、その家でいう事を聞くのはご主人だけ、奥様、お嬢様はチョロなめで最後にはお嬢様を噛んでしまい可愛そうな末路となりました。
私は全面的にこのラブが悪いとは考えられません。普通に飼っていたとおっしゃる飼い主さんですし、確かにその通りでしょう。それでも私は飼い方に間違いなかったとは思えないからです。
たとえば人間の兄弟姉妹、同じように育ててられてみながみな同じような人間になるでしょうか。答えは否だと思います。それよりも、各々の個性を見極めてそのこにベストと思われる方法で育ててあげるべきでしょう。同じ反抗でも見過ごして良いケースとそうではない場合、事によっては全く違う対処方法を取ったほうが良い場合があると思うのです。
私は狼曉をいままでの3頭とはまったく違う育て方をしています。あきらかに狼曉は先代より気が強く、楽天的です。先代と同じ方法を取れば間違いなく手の付けられない犬になりそうです。雄、雌の違いも実に大きく影響しているように思います。3頭育てた経験は経験として、経験に固執することなく狼曉の個性を大事に育ててあげられればと思います。

ハムボーンに夢中の狼曉、この骨をもらえるのって子犬の特権よね。
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